美術

2017年8月26日 (土)

日本画の画材店

日本画を習い始めてから、日本画の画材店に時々買い物に出かける。ネットで買い物を済ませることもあるけれど、やはり画材屋さんに出かけるといろいろ見て相談しながら買い物できるので楽しい。

私は湯島の得應軒と渋谷のウエマツが多くて、時々丹青堂。いずれもネットショッピングができて便利だけれど、ネットには上がっていない商品もあるから、やはり実際にお店で見て買った方が確か。

 

先月京都国立近代美術館と京都迎賓館に行ったときに、放光堂で絵具を買うのを楽しみにしていたのに、お店の前に着いたら臨時休業でがっかりした。東京にある日本画材店は小さいお店が多いけれど、放光堂は間口も広くて立派な店舗だった。次の機会にぜひ立ち寄りたい。

 

淡路町にある得應軒本店で筆と岩絵の具を見ているときに、「膠をください」という人が来ました。漏れ聞こえてきたところによると、ヴァイオリンに塗るのだとか。買い物にくるのは日本画関連の人だけではないのですね。

日本画用額の既製品というものをあまり見たことがなくて、画材屋さんで油絵用の額から自分の作品に合いそうなものを選んでもらったけれども、パッとしなくてネットで注文してみたら、イメージしていたものと色味が違って、初めて日本画専門の額屋さんへ相談に行った。院展の納品が終わったら作品を取りに来てくれることになっているので、もうそろそろ連絡が来るのではないかと楽しみにしている。

ちなみに院展は9/1~9/17 於:東京都美術館
東京芸術大学第一研究室発表展 8/29~9/11
 於:芸大美術館陳列館、正木記念館
 正木記念館は畳敷きの和室で日本画の展示空間として素敵です。

2017年7月14日 (金)

京都迎賓館

京都迎賓館のガイドツアー(約1時間)に参加しました。

ここの設計は日建設計で竣工時に名古屋支店にいた知人がスライド会を開いてくれましたので建築の概要は知ってはいましたが、今回祇園祭の最中ということで屏風によるおもてなしが演出されていました。
建築が秀逸なだけでなく、造作がこれまた至芸の極致でなんと楽しかったこと。
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緞通敷きの大広間が洋間だったのに対して、掘りごたつ法式のお座敷
和室の作り方としては変わっているけれど、なんかくつろぎが感じられる
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欄間 -日-(裏は月)
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船着場

ヴァン クリーフ &アーペル 技を極める ハイジュエリーと日本の工芸

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京都国立近代美術館まで行ってきました。これが見たくて!!
バランシンの『ジュエルズ』はバレリーナ・シリーズのこれらのブローチとかクリップとかがもとになっていると英国ロイヤル・オペラ・ハウス2016/2017シネマ『ジュエルズ』を先日見て初めて知った。
実物は想像以上に大きくて眩い光を放ち、本当に綺麗でした。
もともと私は宝石とかアクセサリーはめったに身に付けないのだけれど、これらは交通費3万円かけても見てきて良かった。
これ以外の宝飾品も綺麗だったし、日本の工芸品も素晴らしい。

並河靖之&濤川惣助等の七宝はもちろん、刺繍とか織物、漆芸、陶芸そういった至芸の集結が圧倒的だった。透明な展示ケースを通して全方向から見られるのも良かった。もっとゆっくり見ていたかったのだけれど、京都駅から国立近代美術館までバスで1時間以上かかったため思ったほどゆっくりできなかった。(祇園祭の最中で街中は混雑していたため、でもその分お祭り気分は味わえてよかったかな)

2017年7月 3日 (月)

川端龍子 没後50年 記念展

山種美術館で現在開催中の川端龍子展に行って来た。

平日の午後のためかゆっくりと鑑賞することができた。

龍子記念館で観たことのある作品も多かったが、展示空間の大きさと明るさが異なるためにかなり印象が異なった。

龍子記念館は天井が高く全体的に明るくのびやかなのに対して、山種美術館は地下空間で全体的に薄暗い照明のなかで絵画が浮かび上がるような展示手法を取っている。誤解を恐れずに言えば龍子記念館は庶民的親しみやすく、山種美術館はお洒落で少々気取っている。(山種美術館も根津美術館も私は好きで何度も行っているけれど、元大田区民の私は地元でいつでも行けると思っていた龍子記念館には2度しか行ったことがない。)

今回のリーフレットに使われた『草の実』の美しさや豪華さには目を奪われた。永井健志先生の絵の繊細さの源流はここにもあるのかなと思った。これはこの美術館にぴったりだと思った。

一方で『香炉峰』や『竜巻』には今回の展示空間では小さ過ぎるように感じられた。何となく私が龍子にもっているイメージの絵。大胆で自由奔放、なおかつ大きい。

当初会場芸術と揶揄されたものを本人が逆に気に入ってその後自らその言葉を使ったように、当時はインスタレーションという概念がまだなかった頃、堂々と展示空間と作品と鑑賞する人々との関係性を正面から主張したところが革新的だったのだろうと思う。

私自身が日本画を習い始めて技術の難易度に感心する部分もあるし、今回の展示が年代を追いながらも龍子の人となりにスポットを当てていたために感じ入った部分も大きかった。

その一つが戦時中に描かれた作品群だ。『香炉峰』『爆弾散華』といった大作だけでなく息子の出征に際して描かれたという小品『千里虎』。

『香炉峰』における表現は飛行機に乗って上空から見た景色と空気との一体感といったものが機体を半透明にして描くという独創によって表現されていて、そこに政治的色彩は感じられない。

それよりも前に描かれた『千里虎』は武運を願う気持ちと我が子の無事を祈る素直な気持ちが感じられて、戦争の結果をもとより知っている者が見ると感傷的になるけれども、当時の龍子にはそんな気持ちはなかっただろう。

一方終戦三日前に自宅が空襲を受けて倒壊し、死亡者まで出したときの惨状を描いた『爆弾散華』はあまりにも生々しい記憶をそのままの形で表現することができず、野菜の花や実に置き換えて表現されている。爆風で吹き飛んだ植物に切り箔を散らした様は暴力的でありながらもグロテスクではない。悲しいけれども恨みがましくはない。そこにはあくまでも絵画としての美が表現されている。『ゲルニカ』のような強い怒りを直接的に表すことはない。そこは画家の性格や信条にもよるかもしれないが、日本画が日本画としてある所以なのかもしれない。激しい感情を感情の赴くままに叩きつけるような絵は日本画として成り立たないと思われたのだと思う。

『鳴門』『黒潮』もダイナミックで素晴らしい。

後期展示の『八ツ橋』『金閣炎上』も楽しみだ。

2016年5月24日 (火)

生誕300年記念 若冲展

あっという間に、あるいはやっと、終了した若冲展。
私は前売り券を4枚買いましたが、1枚は無駄にしてしまいました。

展示内容が良いことも、大混雑するであろうことも期間前から分かっていましたので、4月中の雨天時夕方閉館間際に一度行きました。待たずに入館できましたが、会場内は特定の作品の前が混雑していました。ほとんどの作品は以前何回か見たことがあるので、初めて見るものをじっくり見ましたが、閉館時刻になり会場の外に出たら、関連グッズ売り場が大混雑していて、レジにたどり着くのに一時間待ちと言われたためスルーして、図録ともう一点目についた書籍だけを購入しました。
2回目は夫と5/17の朝7時30分少し前に東京都美術館前に行きました。この日はかなり強い雨が降っていたにも関わらず、既に1000人くらいの行列ができていました。雨が降っていたせいか8時半には館内には入れてくれて、9時に開場したためほどなく入場できました。前回は版画が見られなかったため、この日はここをゆっくりと鑑賞。桝目描きの樹花鳥獣図屏風は相変わらず人垣ができていたので、今回もパス。2013年「若冲がきてくれました」展のときに福島県立美術館で見たから。このとき福島駅から乗り換える飯坂線の美術館図書館前駅に人が溢れていたけれど、入場するまでにそれほど並びはしなかったような。
私自身がこれまで一番長く並んだのはたぶん2014年の「台北國立故宮博物院-神品至宝」展の「白菜石」だったと思います。これは確か2時間半くらい並んだような記憶が・・・
どんなに好きな絵画だって、5時間も並んでたら観る前にくたびれて、嫌になってしまいます。
今回の待ち時間の長さを批判する人の気持ちも分かるけれど、批判される都美術館のスタッフも気の毒かな・・・
NHKが何度も宣伝番組を会期中に流して煽ったせいも大きいと思うし。
もちろん伊藤若冲が好きで見に行った人が多いのだろうとは思うけど、名前も知らなかったけど、テレビでタレントがすごいって言ってたから行ってみたら、信じられないほど行列してて、せっかく来たんだから並んでおこう、という人もいたんじゃないかな~。
もちろん、名前も知らなかった人が作品に接して感動したならそれは良い経験ができて良かったね、といいますか、疲れて感動できなかった人が多かったのではないかしら。
アニバーサリー企画で作品をまとめて見られるから混雑したとすれば、1か月ごとに作品を絞ってみせる宮内庁三の丸尚蔵館方式にすれば、少しは違ったのかも。
いずれにしても今回の大騒動に巻き込まれた皆様お疲れ様でした。

2013年2月 1日 (金)

「エル・グレコ展」

東京都美術館で開催中の「エル・グレコ展」に行った。平日の午後だったせいか、意外に空いていて、出品された作品数も50点あまりと多すぎず、展示空間にゆとりがあるため、ゆっくりと見ることができた。絵画鑑賞後は館内のレストランIVORYでブランチセットを食べて、心もお腹も満たされて帰宅した。

心に残った作品について少しだけ感想を。

I-1 肖像画家エル・グレコ

  1. 芸術家の自画像 エル・グレコの肖像画を初めて見た。少し時代が後になるベラスケスの絵画よりも、薄付の絵の具の発色が鮮やかで、絵の具の亀裂や剥離もなくて、最近補修したのだろうか。(キャンバスに描かれた他の絵画ほとんどすべて、所蔵は多岐に亘るのに、どれもきれいな状態だった。)顔立ちがギリシャ人らしくなくて、どちらかというとイタリア人のように見えるのは、この時代クレタ島がヴェネツィア領だったせいなのか、それともデフォルメされたせいか。

  4. 燃え木で蝋燭を灯す少年 ジョルジュ・ラ・トゥールの「聖ヨセフ」とかカラヴァッジョの作品群を想起させるけれど、それらよりずっと以前に描かれたもの。素朴な感じの力強い筆遣いでのちのエル・グレコらしいデフォルメされないプロポーションが清々しい。

  5. 白貂の毛皮をまとう貴婦人 エル・グレコの作かどうかまだ定見は無いようだが、この人にあんな官能的な絵画があったとは意外だ。いずれにしても、作者と女性との関係が親密であったことは想像に難くない。

I-3 見えるものと見えないもの

この区分に展示されたものが、私にとっては最も興味をそそられる作品群だった。描かれる人物のプロポーションはデフォルメされて、まるで今日の少女マンガのようだし、色彩は補色を多用して鮮やかだ。宗教上のモティーフを扱っているけれども、荘厳なリアリティを追及するよりも、非日常の神秘を炙り出してどこかユーモラスでもある。

  17. 聖母の前に現れるキリスト 18.聖アンナのいる聖家族 では衣服は単純化されて単に彩色された塊として描かれている。

  19. 聖ラウレンティウスの前に現れる聖母 では、聖母子はやはり単純化されているのに、聖人の衣服の質感とディテールに対する描きこみは圧倒的だ。このあたりが、現実と非現実の描き分けということなのだろう。

  22. フェリペ2世の栄光 様々な世界がコラージュされて物語を作り出す手法が16世紀のスペインにあったとは。地獄の表現が、もっとも想像力を刺激する。

III トレドでの宗教画:説話と祈り

この頃の絵がまさにエル・グレコの名前を聞いて思い描くイメージのものだった。20数年前、プラド美術館ではエル・グレコ作品をいくつか見たはずなのに、記憶が定かでなく、トレドではエル・グレコの家もサンタ・クルス美術館も素通り、カテドラルには入ったものの「聖衣剥奪」を見ず。あぁ、もったいなかった、と今頃になって思っても時すでに遅し。
今回全出展作品で最も感動したのが、

  36. オリーヴ山のキリスト この作品がブダペスト国立西洋美術館の作品のレプリカであったとしても、この構成力は素晴らしい。涙が溢れてきたときに、いつの間にか誇張された遠近法の世界に取り込まれ、この物語に浸っている自分に気づいた。

IV 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として

  39. 巡礼者としての聖ヤコブ この顔とプロポーションがカヴァコス Leonidas Kavakos とそっくりで、笑った。
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大作についてはほとんど書いていないが、面白くなかったわけではなく、もう少し自分なりに調べてから再度見に行こうと思っているところ。

2011年10月18日 (火)

酒井抱一と江戸琳派の全貌

千葉市美術館で開催中の展覧会。

俵屋宗達と尾形光琳を中心に据えた琳派展は何度か見たことがあるが、これは抱一とその流れを汲む最後20世紀までの作品が網羅されていて見たことのないものが多った。作品の数が多いだけではなく、抱一や鈴木其一の代表作も展示されていてボリュームがある。大作はこれまで何度か見たことのあるものが多かったので、今回特に面白く感じた描表装作品についての感想を。

鈴木其一と守一の「業平東下り図」が並べてあった。守一の描表装は絵のアウトラインに鮮やかな紅葉と萩、杜若の花とおそらく桜の幹が描き込まれ、その外側軸いっぱいに落ち着いた色調で桜と蒲公英が描かれている。彩度の異なる色使いのせいか紅葉が浮き立って見える。遊び心に溢れていて面白かった。一方其一のものは、少し重心が低くて桜や紅葉も余白を生かし、杜若とスギナなど落ち着いた色彩で上品で繊細な仕上り。

其一「夏宵月に水鶏」に至っては着物と帯、小物の組み合わせのようだ。

これはたぶん描表装ではないけれど、其一「雪月花三美人図」はそれぞれ雪、月、花を背景にした色鮮やかな着物が美しいが、私には群青色の格子模様の表装が気になった。群青色の縦ラインが雪と月は2本、花は3本で横のラインはどれも揃っている。雪が左、花が右に並べられているけれど、通常の並びとは逆にした方が生地の並びとしては整う。表装をわざと崩したのだろうか、それとも並べ方を通常とは逆にしようとする意図があったのだろうか。

展示作品最後の酒井唯一「鯉に燕子花図」は、表装のように見せようという意識が既に形式化され一枚のスカーフのように全体のトーンを上品にまとめて仕上げている。

其一ばかりになってしまったけれど、抱一の大作はもちろん素晴らしいし、鳥獣人物戯画写とか雪舟写金山寺図などの模写がオリジナルとは全く異なる優しい筆づかいで興味深かった。

抱一の作品で三ノ丸尚三館所蔵 十二カ月花鳥図 十二幅と香雪美術館所蔵 十二か月花鳥図屏風 六曲一双が展示されていた。2008年の大琳派展にはファインバーグ・コレクション所蔵の掛幅装を見ているが、尚三館所蔵ものがもっとも保存状態が良いのか色彩が鮮やかで、表装も新しいような気がした。季節ごとに掛け替える軸として使えば上品だろうけれど、全体を並べた空間としては六曲一双に仕立てた屏風か、襖絵の方が力強い。

2011年10月16日鑑賞

帰るときに1階にこの建物の模型が展示されていて初めて大谷幸夫の設計だということに気付いた。

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2010年8月20日 (金)

マラガの朝

20数年前に行ったコスタ・デル・ソルの町マラガ、卵料理のオンパレードには参ったけれど、明け方港に出かけると、海面近く、無数の小さな光が点滅していた。プランクトンの一種だと思っていたけれど、今になって思うとあれは下村脩博士のノーベル化学賞受賞で一躍有名になった“オワンクラゲ”だったのかしら・・・

しばらく海を見ているとだんだん夜が明けてきて(たぶん朝の8時くらいだった気がする。通勤や通学の人たちが大勢通りを行きかっていたから。)水平線に薄くかかった雲を通して日の出を見た。

日の出や夕日にはただただ人の心を打つ何かがあって不思議だ。

Photo

ザルツブルク音楽祭でのリサイタルをツィメルマンがキャンセルしたようだ。室内楽もハーゲンSQだけのプログラムに変更されている。
http://www.salzburgerfestspiele.at/konzert/detail/pid/4398/id/689/sid/91/
病気のためということだけれど、どうか早く元気になられることを祈っている。

2010年8月15日 (日)

ブリューゲル版画の世界

ブリューゲル版画の世界 bunkamura ザ・ミュージアム

エトワール・ガラは19時開演だったので、少し早目に渋谷に行って「ブリューゲル版画の世界」を見てきた。(2010年7月29日)

ブリューゲルの家系は代々画家を輩出していて、今回は「バベルの塔」「雪の中の狩人」などで有名なピーテルと同時代人の版画展。
オペラグラスは持っていたけれど、もっと近距離用の拡大鏡を持っていれば良かった。いろいろ細部にわたって描き込まれている。ただし、1枚を除いて、版を彫っているのは本人ではないので、引かれた線そのものに気を取られては意味がない。

《野うさぎ狩りのある風景》
これが現存する唯一画家本人が彫った版によるもの。
タッチの強弱や不規則性によって生み出されるニュアンスが画家の描きたい対象を浮かび上がらせる。
都市と村、海と山が対比された風景のなかに寓意に満ちた題材が描かれている。

《冥府へ下るキリスト》
彫版:ピーテル・ヴァン・デル・ヘイデン
画面の構成、グロテスクな生き物たち、生き生きとした線の美しさ、見事。
この題材の意味することを知らずに見ても、面白く鑑賞できるだろうが、描かれたもののそれぞれの意味を知って見ればより感動できるだろうと思う。

《聖アントニウスの誘惑》
彫版:ピーテル・ヴァン・デル・ヘイデン
これまたセンセーショナルな画面構成で、鳥獣戯画(12~13世紀作)を思い起こさせる滑稽さ。16世紀の西欧諸国に鳥獣戯画が伝わっていたとは思えないけれど、日本の鳥獣戯画に影響を与えたものが中国伝来のものであるのならば、それが西欧諸国に影響を与えていたのかもしれない。学術的なことは門外漢なので根拠はない。
しかし、そういったすべてのものに背を向け聖書だけをみつめる聖人。
教育のない人々の興味を引く目的があったとしても、そのあまりの漫画ぶりに驚く。

七つの原罪シリーズ
彫版:ピーテル・ヴァン・デル・ヘイデン
キリスト教に詳しくないので、七つの原罪と聞くとデヴィッド・フィンチャー監督の映画「セブン」を思い出す。ブラッド・ピットとケヴィン・スペイシーの怪演と薄気味悪い映像と後味の悪い幕切れに音楽が妙な気分を盛り上げてくれる傑作だけれど、この版画を観ると描かれていない魑魅魍魎までが見えてくるような気がする。遠近法を無視して時間と空間を超越した世界が広がる。このあたりもなんとなく日本の絵巻と似ている気がする。
ブリューゲルの素描《邪淫》をみると描かれているモティーフの不道徳性に比較して柔らかな筆致がメルヘンのようにも見えてしまうのだが、刷り上がった版画のそのえげつなさを見ると、こういった題材を取り上げる際の心理的効果というのは微妙なことに左右されることに気付かされる。

七つの徳目シリーズ
彫版:フィリップス・ハレ
ハレの版ではヘイデンよりも彫塑的表現、石膏デッサンのお手本のような線の引き方をするので、漫画的なおかしみは少なく気真面目な印象を受ける。
《正義》におけるブリューゲルの素描を見ると一人ひとりの表情、建物や、石畳、衣服などの質感を描き分けていて、一方旗や遠景などは適当に省略されているのだが、版画ではそういったメリハリが希薄なので全体的に平板な印象は免れない。

《聖母の死》
彫版:フィリップス・ハレ
こういった深刻な場面を描いたものは、ハレの特質が活かされていると思う。

その他非常に多くの版画が展示されていて、多くのものは諺なり、教訓なり、かなり宗教教育目的のものが多い。当時の民衆の風習とか思想を見ることができるので、歴史的価値もあるだろうと思う。また保存状態が良く、細部まではっきりと見ることができるのも良かった。

これまで油彩は何点か観たことがあるけれど、版画は初めてで、油彩画とは扱う題材も表現方法も異なって興味深い展示だった。

2009年10月20日 (火)

皇室の名宝  日本美の華 1期

先週土曜日の午前中に東京国立博物館で開催中の皇室の名宝展へ行ってきた。心配したほどは混雑していなかったが、前半伊藤若冲のところはたいへん混雑していた。

「唐獅子図屏風」があんな巨大だったとは知らなかった。右側は狩野永徳筆、豪快な筆致で迫力満点。左側は孫の常信筆で洒脱なもの。本来どんな広い部屋に置かれたものなのだろうか。

若冲のものはどれも細密画風でありながら、装飾としてデザインされており、その対象物の組み合わせも、色づかいも独特で鮮やか。平成11年から6年かけて解体修理されたと解説されているが、修理する前の色はどのくらい退色していたのか、いなかったのか、それも参考資料として写真などがあれば尚良かったと思う。金毘羅宮奥書院障壁画は傷んではいたが、それでもなお色鮮やかで細部まで書き込んだ花々が生き生きとしていて驚いたことを思い出す。
今展覧会は、やはり伊藤若冲が一番人気だったようで、常に後列からみたので、絵の下にあったタイトルにほとんど最後まで気付かなかった。

円山応挙の「旭日猛虎図」はやはり金毘羅宮でみた虎同様大きな猫そのものだった。虎でいうと谷文晁のものは水に映っている顔が、タイガーマスクのようにみえてちょっと笑ってしまった。

酒井抱一の花鳥十二カ月図は抱一らしい繊細でいかにも日本画らしい端正な美しさが際立っている。こんな軸が我が家にもほしいな。無理だけど。

葛飾北斎「西瓜図」は飄々とした画題の選び方がユニークで面白く、一度見たら忘れられない。剥いた皮をつるして干してあり、ああいった剥き方をするには、半割にした西瓜の果肉だけを掬いだしたのだろうと思うが、紅白並べてあるところがまたなんとも不思議で。

これらのほかにも、素晴らしいものはたくさんあったのだけれど、何といっても疲れてしまって、少々駆け足で通り過ぎたのだが、あまりにびっくりしすぎて、しかも誰も足を止めていなかったのでゆっくり鑑賞できたのが、濤川惣助作 七宝月夜森林図額 七宝と書かれていなかったら、艶やかで現代的な墨絵かと思ってしまうところだった。どうしてこんな大きくて平滑なしかも墨の擦れや滲みのようなものまでが描けたのだろうか。触れないのは承知の上で、つい触れてみたくなった。(もちろん触れてない。)

川合玉堂の描いた「雨後」も煙る靄が美しく情趣豊かで目を引く。

昭和の作になると鏑木清方「讃春」は美しいだけでなく、二双の特に左隻、隅田川の船上生活者の親子が描かれたものが目を引く。さらに右隻には皇居前広場でくつろぐ上流家庭の女学生が対比されることで、さらに船上生活者が強調される大胆さ。この前も空いていて離れたところからゆっくりみられてよかった。

上村松園「雪月花」。松園らしい上品で華やかな作品。これが鏑木「讃春」と並んでいるところがまたちょっと皮肉で楽しい。

動植綵絵は一つ一つゆっくり感想を書きたいのだけれど、もっとじっくり見る機会があった時にまわそうかな。

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