昨年見たものの中から記録の一部
『ゆれる』
うーん、頑張ってはいるのだが、どうもエンターテイメント性に欠けるというか、豪華な出演者たちにもかかわらず華が足りない。
兄弟の葛藤劇としては、旧約聖書のカインとアベルの物語が典型だとすると、この物語における親子二代に渡る嫉妬と羨望、慈愛、偽善その他諸々の葛藤がなぜか空虚に感じられる。
なぜか、それは案外智恵子の描き方が監督が女性であるがゆえにかえっておざなりだからではないかと思うのだ。
稔と猛、父と伯父という二組の兄弟にスポットライトをあてるために、キーパーソンとなるべき智恵子の描写が希薄なのだ。
智恵子の母が裁判所で「智恵子は殺されなければならない様なことをしたのでしょうか?」と猛に問いかけるが、このあたりもどうも弱い。本当に殺されたのだと思っていたのなら、母親の言うべき言葉ではないし、事故だったのかもしれないと思っていたのだとしても、そうは言わないだろう。
この映画は大変評判が良かったからこそ、再上映しているのだろうけれど、私の感性とはフィットしない。それでも、観て損はない映画だとは思う。
『デスノート 後編』
頭も身体も疲れていたので、娯楽作品を。
この映画の結末は大方の予想通りだったように思う。依然として原作を読んでいない。読み始めたらきっと一気に読んでしまうだろうと思うのだが、読み始めるきっかけが作れないでいる。
藤原竜也、松山ケンイチ、戸田恵梨香らは前作に引き続きの登場で、前作の公開から間が無いこともあってすぐに世界に入り込めた。
片瀬那奈は脚が長くて綺麗なところを前面に押し出しつつ、演技も瀬戸朝香より良かったように思う。
レッチリの音楽はこの映画のために作られたのかと思うくら良かった。
『デスノート 前編』
漫画は読んでませんが楽しめました。
というか、読んでなかったからこそ新鮮で面白かったともいえます。
一昨年子供が『DEATH NOTE』単行本を差し出して、「これ面白いから読んで。」と言っていたのですが、「タイトルが残酷そうだし、絵柄も好きじゃない。」と言ったら、「『ヒカルの碁』の人だよ。」と言ってましたが、とにかく読む気がせず目もくれませんでした。
映画は公開して1ヶ月以上経ちますが原作好きには評判はよくないようでしたが、松山ケンイチ出演ということで、この際原作知らずとも観て来ようと思い立ったわけです。
藤原竜也の夜神月といい、松山ケンイチのL といい、もちろんリュークといい、人物設定は良くも悪くも漫画らしいものです。
その漫画らしい設定を実に気持ちよく、ありえない姿として三人(?)が演じていたと思います。
また、戸田恵梨香がミサミサというアイドルタレントを等身大で演じていてかわいらしかったです。
あ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのDani Californiaのなんともレトロな曲調とアンニュイな雰囲気が映画に合ってました。
正直、映画館で観なくてもよかったかも・・・ですが、コミックス読んでみようと思いましたので、コミックスの宣伝効果にはなっていると思います。
『父親たちの星条旗』
クリント・イーストウッドは俳優としては好きではなかったけれど、監督としてあるいは音楽家としては才能豊かだと感服させられる。
自分が好きなことに精進すれば、その道に精通することができるのだと人に教えてくれているようで、不思議と心を揺さぶられるのだ。
映画の作り方も情緒に訴えかけることに長けている。戦争の非情という大きなテーマの他にもおそらく原作の随所に、人権に関する今日的テーマが盛り込まれているものを、アメリカ側からの視点で『父親たちの星条旗』日本側からの視点で『硫黄島からの手紙』という二部構成にすることで整理して分かりやすくしたのだろうと思われる。
涙が止まらず、しばらく席を立てなかった。
『カポーティ』
淡々と進行する映像に比して主人公カポーティと殺人犯人ペリーとの沈鬱な心情と野望。観ている方も沈鬱な気分に陥る。
フィリップ・シーモア・ホフマンといえばかなり低音で響く美声の持ち主だけれど、この役においては頭のてっぺんから抜けるような高音でしゃべりまくる。そのことは予告で知ってはいたけれど、それでもやはりかなり特異な印象の人物像を作り上げたといえる。実際のカポーティの音源を参考にしたらしいので、カポーティ本人の話し方、声音に似せたのだろうと思う。
別にゲイだから、声がハイトーンだから繊細と言うことにはならないと思うが、そのイメージは繊細で傷つきやすいものという事になると思う。その意味において、ホフマンの役作りは成功している。
決して面白い映画とはいえない。しかし、帰宅して、この文を書きながらまだ動揺している自分に驚いている。
『ユナイテッド93』
パニック映画だったり、アメリカ万歳映画だったら嫌だな、と一抹の不安はあったものの観なくてはという思いで出かけた。
搭乗者に生存者がいないので本当のことは分からない。でも、管制官や軍関係者は自分自身を演じている人がいて、まるでドキュメンタリーのように進んでいく。
政府関係者は、ここに登場しないことで、その他の人々から断罪されている。
犯人についてもその背景を語られることはない。
911テロで亡くなったすべての人に捧げられたこの映画は、亡くなった人々が、何も知らずに何もせずに無駄に死んでいったのではないと言う事を伝えたかったのだろう。
世界貿易センタービルが黒煙を上げて燃え、その後、崩れ落ちていく様は、メディアが同時中継で世界中に伝えた。
私の記憶にもはっきりとあの驚きと恐怖は刻まれている。
一方的に正義を訴えるものにしなかったことで、誰の心にも訴えかけることに成功している反面、この物語が真実だったのかどうかについてはわからないという感想が残ってしまうのだ。
『森のリトルギャング』
インターネットで予約して出かけたら、八月は1300円で映画が観られるのを知らなかった。損した気分だけど、仕方ない。
子供がどうしても見たい、夕方なら字幕版があるけど昼間は吹き替え。でも遠くへは行きたくないし、夕方もいやと言うので吹き替えで観ました。
武田鉄也の声が、耳について顔や仕草が目に浮かんでくるのがマイナス。
ブルース・ウィリスのRJの方が良かった気がするけど、役所広司も悪くはなかった。
しかし、声よりもやはり画の存在感は抜群だったし、お話は子供向けでありきたりともいえるけど、人間の描写はかなり強烈なブラックキャラで笑える。
館内、私たち親子以外は本当の子供連ればかりだったけど、案外デート向きかもしれない。
『ジダン 神が愛した男』
シネカノン有楽町に行って最も驚いたのは、階段に行列する老若群女だった。
一体これは何なんだろうと訊いてみたら、『青春漫画 僕らの恋愛シナリオ』試写会に並ぶ人たちであった。
クォン・サンウって人気あるんだね。
その次に驚いたのは、『ジダン』の前に、『ハイジ』を上映していたのだけど、出てきた人たちは9割以上かなりの大人(平均年齢50歳くらいか?)。しかも男性多し。男女比率4:6くらい。
そのまた次は『ジダン』を観に来ていた人の6割以上は女性であったのと、しかも、一人で来ている女性が多かったこと!意外だった。
世間の評判が芳しくないことを承知で観てきました。
う~ん、よく分からなかった、どうしてジダンは最後怒ってレッドカードを出されて退場してしまったのだろう。
試合の流れの中ではもちろん理由があったのだろうけれど・・・
ジダンの独白部分で、試合のすべてをリアルに覚えてはいない、部分だけだと言っていた。そりゃ、そうだろうと、言いたい。
で、結局、ジダンは自分が必要だと感じた局面でだけ神懸かり的に活躍するということがわかった。
要約してしまうとそういうことだ。
前半ビジャレアルのソリンやフォルランが再三画面に登場するところをみると、ジダンはまったく遊んでるわけではなく、攻撃のときも守備のときもその場面には居合わせている。しかし、あまり動かない。
後半ボールを蹴ったり、受けたりする音が頻繁に入るが、かなり大きな音だ。
またジダンがドリブルするときは、あまり大きな音はたてないし、みかけほどタッチ数も多くない。へーぇ!
ベッカムがのそのそ動くのが嫌いだったけど、実はジダンのほうがよほどのそのそしていた。
ラウルは顔面髭だらけで、精力的に動き回っていた。
オーウェンはほとんど画面に映っていなかった。つまり、ジダンの近くにはいないことがほとんど。マドリーでは活躍できなかったことがこの映像でも窺がえた。残念。
結局、面白いところを探し出そうと努めるとそれなりに楽しめるのだ。
でも、間違いなく、一般受けしないな。
『カサノバ』
楽しかった~。館内のあちらこちらから時折漏れるクスクス笑い。コメディだったのか、知らなかった。
ラッセ・ハルストレム監督の今までの作品から、何か生に関する重いテーマがあるのかと思ったら、そんな堅苦しさも息苦しさも一切なくて、観客は主人公たちと一緒にヴェネチアの街を飛んで走って、ハッピーエンド!!映画を観終えてからも、しばらくは口角が上がって目尻が緩む。
古い時代のヴェネチアを舞台にした映画というと、どうしても耽美主義にはしったものを想像してしまうが、衣装は時代を感じさせはするものの映像は至って明るくむしろ現代的である。色鮮やで豪華な生地をストライプ状に縫製した熱気球を帆船のマストに揚げて海に出て行く様がとても美しい。
この映画におけるカサノヴァは初代も二代目も天真爛漫で手練手管のプレイボーイとはかけ離れていて、キリスト教に支配された時代から自由になりたいと望んでいたヴェネチアの市民を代表して、一組の男女の物語をテンポ良くあくまで明るく描いたのだ。だからなんだか不器用そうで母性本能をくすぐるヒース・レジャーを主人公にしたのだと思う。
『リバティーン』におけるジョン・ウィルモットが隠微な耽美主義を匂わせたのとは対称的だ。
『アダン』
結局観てきました。
田中一村の絵が好きな人が多く観に来ていたようで、年齢層は高めでした。たぶん60歳以上と思われる御婦人方がご目立ちました。遠方からも来ていた様子です。だって、今上映しているのは関東では東京都写真美術館と宇都宮だけです。6月からは横浜でも上映されるようですが・・・少ないです。
それと、田中一村の画集がでているかとも思ったのですが、ありませんでした。残念!
そうですね、田中一村の絵画についてではなく、あくまで生き方ですので・・・
もっと芸術性の高い映像を期待していましたが、期待ほどではありませんでした。
ただ、芸術家の生き方としては理解でき、若くして亡くなった友人が思いおこされ、涙を誘いました。
『ぼくを葬る』
日が傾き、海岸から人がいなくなりやがて暮れなずむなか、静かに波の音だけが響く。
自分よりも早く死んでいった家族や友人たちの死が思い出される。
『アダン』にしようか『ジャケット』にしようかと悩んで、結局これにした。
こういう静かな精神世界にたどりつけてよかった。
別れた恋人のサシャにも、姉のソフィにも、本当の素直な自分を曝け出すことができないのに、祖母(ジャンヌ・モロー)には真実を打ち明け、眠れないから一緒に寝たいと言える。
きれいな体だったロマン(メルヴィル・プポー)が、最期には痩せ細り白い肌を投げ出す姿は痛々しいが、それでも心は穏やかでいられた。
赤の他人である夫婦に自分の未来を託すことで、安らぎを得られたのだ。
宗教を否定し、孤独である自我が死に面することで、愛に目覚めたとは言えないか。
インタヴューの中で、プポーが最後のシーンは仏教的だといっていたが、私にはロマンがたどり着いたその愛はアガペーだったというところが、キリスト教的であると感じられた。
それにしてもジャンヌ・モローの存在感はすごい。
中学校の家庭科のK先生は、ジャンヌ・モローと似ていたなぁ。ご健在だろうか。
『ナイロビの蜂』
西洋社会から見たアフリカの映画は、どれも美しい風景と非情で残酷な物語と言う点で共通しているように思う。
そうでない映画を観てみたい。
さて、レイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ、ユベール・クンデをはじめ俳優陣の演技は抑えた中にインテリジェンスと情熱が感じられてよかった。レイチェル・ワイズの妊婦のヌードはどうやって撮ったのだろうか?
また、アルベルト・イグレシアスの音楽もすばらしく胸に染み入る。映像はイギリス映画にしては乾いた感じで、監督がフェルナンド・メイレレスというブラジル人だからだろうか。
予告編では愛の物語と言う部分を強調していたが、愛は夫婦の愛だけでなく、肉親の愛、人類愛すべてを含んだグローバルな愛について語っている。
社会派のサスペンスとしてよくできていると思う。
『ククーシュカ』
まるでドキュメンタリー映画を観ているようなかんじで、ハリウッド映画を見慣れていると新鮮だった。
第二次大戦末期、夏のラップランドでのできごと。
銃殺刑を免れたかわりにドイツ兵の制服を着せられ、置き去りにされたフィンランドの青年、ヴェイッコ。
何かの罪を着せられて移送中、自国軍の誤爆で負傷したロシアの中年兵、イワン。
ラップランドの原住民で、夫を戦争に送り出して4年間一人で暮らしている若い女、アンニ。
この言葉が互いに通じない3人が、いくつかの出来事を通じて心を通わせていく過程を淡々と描いている。
ヴェイッコを演じたヴィッレ・ハーパサロは朴訥な印象がマット・デイモンと似ている。
ヴェイッコ手作りのサウナにイワンと二人で入っているときに裸の二人を見比べてヴェイッコを連れていくアンニ。
とても直裁で分かりやすい恋の相手の選び方は愛の原型かもしれないと思った。
そして選ばれなかったイワンが嫉妬心を抱くために、3人の関係が込み入っていくと思われたが、実はそのことはそれほど重要なことではなかった。なぜなら、アンニはイワンも選ぶことになるから。
そして冬になり3人の共同生活に静かな終わりが来るが、数年後双子の男の子がアンニの傍にいる。
ヴェイッコが死の淵を彷徨っているときの風景は、日本人が描く賽の河原との共通点があって面白い。フィンランドはウラル・アルタイ語圏に属するだけあって、私たち日本人の心象風景に近いものをもっているのかもしれない。そういえば、以前フィンランド人と片言の英語で話したとき、ほかのヨーロッパ圏の人よりも話が通じやすかったのも、関係あるのかもしれない。
名前の順序を訊いたら、family nameが先で日本人と同じだと言っていた。
不思議となつかしい、郷愁を覚えるのは、そんなことがあったからかもしれない。
『リバティーン』
"Do you like me now? Do you like me, now? Dou you like・・・"
そう囁きながら、酒をあおりfade-outするジョニー・デップ。その声を聞き、目をつむると心地よい倦怠感に浸れる。
Official Siteのreview ヒキタクニオ氏によれば『「耽美」という漢字が最も似合っているように思えた。』と言っている。そう、谷崎潤一郎の世界に近い、際どい、エロ・グロなのだが、ジョニデファンとしては、映画そのもののできよりも、ジョニー・デップの表情と声、演技に酔いしれているので、彼自身が芸術に思えてしまう。
彼の演技を楽しみたいなら『シザー・ハンズ』や『ギルバート・グレイプ』は秀逸だと思う。しかし、彼の味を堪能するならこの映画『リバティーン』は最適だと思う。
『嫌われ松子の一生』
中谷美紀を初めて知ったのはTVドラマ「俺たちに気をつけろ」でした。ドラマは初回と次くらいしか見てないのですが、保坂尚樹、袴田吉彦ともう一人きれいな女の子がでてきて、それが中谷美紀でした。その後、ケイゾクとか永遠の仔などに出演していたのは知っていましたが、演技をしている彼女をまともに観たのは初めてです。屈伸運動をしている後姿が何度もでてくるのですが、逞しい筋肉でなぜかうれしくなりました。
『シカゴ』でレニー・ゼルウィガーとキャサリン・ゼタ=ジョーンズの背筋に惚れ惚れしましたが、彼女たちはさすがだなと感心したものですが、中谷にはあまり逞しいイメージがなかったので、驚きでした。将来は、松坂慶子タイプなのか戸田恵子タイプなのかいずれにしても楽しみな女優です。
その他のキャストもおもしろかったです。私は俳優の宮藤官九郎(クドカン)が好きです。あの味は他の人では出せません。
原作は読んでないの映画とどれくらい開きがあるのかわかりませんが、脚本にはかなり手を入れてあるのでしょう。一箇所どうかと思ったのは、『親切なクムジャさん』の中の1シーンと似た部分があったことです。故意(パロディとかオマージュ)ではないのだと思いますが・・・
後半はハンカチが手放せません。両隣の人たちも何度も涙を拭っていました。こんなに泣ける映画だとは全く思っていませんでした。
『ブロークバックマウンテン』
予告どおりに泣けました。綺麗な景色をバックに、いい人たちの切ない思いが伝わってきました。
今日はレディースデイだから混んでいるだろうと予想していましたが(開演5時間前にインターネットで席を取ったときはまだ10席くらいしか埋まっていなかったように思います。)、女性客ばかりでなく、カップルでない一人できている男性も多かったです。私の隣も若い男性一人で、前列以外は7割くらい埋まっていました。
最近、映画館に来ている人たちにも興味があります。できることならスクリーンから観客席の写真を撮りたいくらいです。
フレディ・M・ミュラー監督作品『山の焚き火』というスイスの映画を思い出しました。1985年にシネ・ヴィヴァンで観ました。
こちらは、同性愛ではなく近親相姦なのですが、どちらもその特異性にスポットをあてるというよりも、愛の普遍性を語っていることと、山岳の気候の厳しさと美しさで愛を表現していることで共通しています。ただ、『山の焚き火』では朝日が昇る山の斜面で周囲に何も邪魔するものの無い中での開放的sexが印象的(罪の意識など無い)であったのに対し、『ブロークバックマウンテン』ではイニスの罪の意識が大きいことがこの切ない恋を決定付けるという大きな違いがある。
アン・リー監督が『山の焚き火』を意識していたかどうかは分からないが・・・・
そういえば、シネ・ヴィヴァンが無くなって6年以上になるのですね。
『クラッシュ』
現代アメリカのヒステリーを描いた映画で、登場人物のほとんどが苛々していて、日常的に怒っています。誰もが加害者であり被害者でもあり、極悪人はでてきませんが、聖人もでてきません。
コソ泥が中国人だと思った男(実はコリアン)を車ではねて救急病院の前に置きに行ったり、東南アジアからの違法入国者が人身売買されるのを助けたかと思えば、人種差別を嫌悪しているはずの人道主義者の警官が黒人に怯えて撃ち殺してしまう。どこもかしこも歯車が噛み合っていない現実。
こんな悲劇が日常に埋もれていく社会をではどうしたらいいのかというような方向性は明確には示されていない。しかし、ペルシャ人の商売人の娘の行為が父親を殺人犯にせずに救うことになる。
この映画はアカデミー作品賞、脚本賞、編集賞受賞作ですが、ジャンルは違うのに、作品の構成・手法は『The 有頂天ホテル』を思い出させます。これが脚本賞なら、有頂天ホテルもアカデミー脚本賞とれる!!と思ってしまいました。
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