「野いばら」 バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ

気になっていた梶村啓二著「野いばら」を読んだ。物語の展開が意外性に乏しいのと、主人公の描写に不満は残るものの、文章自体はさらりと読みやすい。
幕末(1862年)江戸の諜報活動のためやってきた英国軍人エヴァンズがバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタを演奏する件、神奈川の山寺で初めて弾いた曲がパルティータ3番のプレリュード、次に美しい日本語教師ユキと心を通わせようとして演奏したのがパルティータ2番のアルマンドで、みごとに彼女の心を強く揺さぶることに成功する。
映画にしたら、野いばら群生の映像とともに効果的に扱われるだろうと予想される。しかしもし映画になったときに、ギドン・クレーメルやヒラリー・ハーンのような鮮やかな演奏すぎるとあざとい感じがしてしまうだろうと思う。音楽も花も完璧すぎると現実感が無くなる。
今月、京都西本願寺で演奏される五嶋みどりのバッハ無伴奏ソナタとパルティータを聴きに行く。演奏会として聴くならば、現実から遊離した完成度の高い演奏を期待している。長年見たいと思っていた書院と飛雲閣も見ることができそうで、とても楽しみ。

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スーパーピアノレッスン~シフと挑むベートーベンの協奏曲

 毎週楽しみに見ていて、先週第3番まで放送があった。スーパーピアノレッスンと言っても、今回はルツェルン音楽祭のマスタークラスを収録しているので、生徒も豪華な布陣。その優秀な生徒が演奏した後にシフが同じフレーズを演奏すると音の響きが異なる。「鍵盤を上から叩く癖のある人が多いけれど、もっと指を滑らせるようにして鍵盤を押してみて。」なんて言われなくとも、指の先端を使っているのか、腹を使っているのか、映像をじっくり見てしまう。ペダルを踏まなくても、倍音が響いて次の音と重なるのだが、濁らない。同じ楽器なのに!!
 ダニエル・バレンボイムのベートーベン ピアノソナタ マスタークラスに比べると曲のイメージや成り立ちの説明が具体的で素人にも分かりやすい。指揮者としてのバレンボイムは好きだけど、ピアニストとしてはなぜかあまり感動しない。もっともそんなにたくさん聴いているわけでもないけど・・・

 弾けるかも(弾けないけど)と思いNHKのテキストを買ってきた。全ての楽譜が載っているわけではなく、第1番第1楽章&カデンツァ第3番、第4番第1楽章&カデンツァ第1番、第5番第1楽章のみだが、収録中された主なシフの説明が楽譜に書き込んであって、楽譜を見ながら思い出せる仕組み。私が子供の頃ピアノを習っていた神立先生は楽譜に赤鉛筆や青鉛筆で書き込みをなさる方でハノンやチェルニーからベートーベンまで(私の楽譜だけだったのかな?)たくさん書き込まれた。思い出すと懐かしい。
 このテキストの中でシフは4番が一番好きだとあった。私も、自由な空気と幸福感に包まれる4番が好きだ。今週末からいよいよ4番に入る。生徒は若いキム・ソヌク。楽しみだ。

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dieter blum - pure dance

先週末から風邪でダウン。しかし1日中寝ていると腰が痛くなり脚が痺れてくる。そこで、寝たり起きたりしながら写真集をながめることに。昨年シュツットガルト・バレエ団が来日した際に評判は聞いていたもの。

シュツットガルト・バレエ団+マラーホフが被写体のヌード写真集。
ルグリやマラーホフのホームページをみれば彼らの自信に満ちた綺麗なヌード写真が掲載されているが、この写真集はダンサー個人をアピールするものではなく、ダンサーの身体の極限の美を写し取ったものといえるかもしれない。鶴の群れが舞う光景が織り交ぜられていて、日本人の目からすると、一瞬デジャ・ヴュのように感じられる。

表紙にも使われた写真は、イリ・イェリネクが跳び上がった瞬間を切り取ったもので、汗が飛び散り、右斜め上方に伸び上がる上体と高く引き上げられた右大腿、まっすぐ左下方に引き伸ばされた左脚と甲の力強さはすばらしい。と、思うのだが、これを普通に見開きのぺージにされてしまうと見難い。大判を半分に折って閉じてくれればいいのに。残念。
ヨーロッパのバレエ団を見てよく思うのは、女性ダンサーが痩せていない、ということだ。白人社会では乳房の豊かさが女性のシンボルなので、ダンサーといえどもというより、ダンサーだからこそ、女性らしい身体を作ることにプロとしての意識があるのだろう。

マラーホフはかなり高い頻度で登場し、どれも40歳には見えないしなやかな身体を披露しているが、表情は他のダンサーたちと異なり、カメラには目を合わせない虚ろな表情でシュツットガルトのダンサーたちが生の象徴だとしたら、マラーホフは死(あるいは老い)の象徴のようにも感じられる。ちょうど「若者と死」における「死」のようだ。

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クレーメルの青春譜

旧ソ連から亡命した芸術家は多い。しかし、クレーメルのように公然と政府に掛け合って自由を獲得した人は他にはいないのではないだろうか。ハードボイルド小説のようなクレーメルの半生記である。

この本を読むとすべてが真実かどうかということよりも、自分史を実名入りで書き表すことができるのは、いかにも芸術家らしいと言わざるを得ない。いわゆる暴露本とも違うのだが、読者の方がある種の居心地の悪さすら感じてしまう。比較的思いやりをもって書かれる女性達、タチヤーナ・グリンデンコ、エレーナ・バシュキロワ、アルゲリッチとバレンボイム。それに比べてリヒテル、ギレリス、オレグ・マイセンベルグ、シュニトケ、オイストラフ、コーガン、ロストロポーヴィチ、ロジェストヴェンスキー、カラヤン、キーシン、ヴェンゲーロフその他大勢の人たちは、この歯に衣着せぬ物言いをどう感じるだろうか。亡くなってしまった人たちのことを多少悪く書こうとも、名誉毀損というほどではないから構わないという計算高さも感じさせる。
”奔放な女性関係”(?)は、抑えきれないくらいの情熱がなければ芸術家としては大成できなかっただろうし、結婚という形をとらないと恋愛が成就しにくい社会と時代背景だったことは理解できる。ただバシュキロワとの別れについてはさらりと流されていて、この話にバレンボイムは登場しない。クレーメルかバシュキロワかバレンボイムが亡くなった時に自伝第3弾が出版されるのかもしれない。---あぁ、そういえば何気なくジャクリーヌ・デュ・プレの名前もでてきた。

私がクレーメルを知ったのは大学生のときに聴いたFM放送ではないかと思う。当時の放送を録音したカセットテープがないか調べたが残念ながらみつからなかった。当時クラシックが好きだったわけではないが、他の人の演奏とは異なる音の多彩さと独特のリズム感に惹かれ、クレーメルだけは聴き分けられたように記憶しているが、風貌については興味がなかった。ところが、今になってみるとどことなくクレーメルと家人が似ていて(特に若いときの写真をみると)笑ってしまう。

年月が経ち、あるとき友人からピアソラのCDを手渡された。そのエキセントリックさがクレーメルの音の響きに似ていると思ったら、なんとクレーメルはピアソラの伝道者になっていたのだった。知らなかった。友人にそのことを伝えると、クレーメルのファンで、「クレーメルの音は暖かいよ。」と言っていた。わたしは変なところも美しい音を奏でるところも含めてその表現の多彩さが好きなのだが、身近にクレーメル ファンがいたとは。私が好きなのを知っている家人が「真面目なおじさん」と言ったときに、「そうでもないよ。ツィマーマンに比べると結構ずっこけてるよ。」と言ったが、このところツィマーマンの印象も少し変わってきたので、クレーメルに影響されたのかもしれない、と思っている。

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大琳派展 カタログ

尾形光琳生誕350周年記念 の今回、展示内容も分かりやすく工夫されていたが、カタログにも力が入っている。表紙の光琳風神雷神図、表紙を開くと中折れになっていて、その内側が酒井抱一の夏秋草図屏風。4人の風神雷神はそれぞれ全体とアップが中折れ見開きで比べられるし、各章の鏡や解説の地模様も豪華で美しい。本の装丁自体が琳派を意識したものとなっている。これが3000円はお買い得に思う。これまで何度も繰り返し開催されてきた琳派展のカタログの中でも図録として優れているものだと思う。

フェルメール展のカタログと比較すると、フェルメール展は解説文が写真と同じページの記載されていることと、来歴(日本への)、展覧会暦(世界での)、参考文献が各絵画に記載されているので、絵画の歴史を調べるには便利だ。印刷の色の再現については大琳派展に部があるように思う。

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モーリス・ベジャール回想録-誰の人生か?

この本を読んでいて、萩尾望都『ポーの一族』、竹宮恵子『風と木の詩』のことを思い出した。
山岸良子ならバレエ漫画『アラベスク』ではなく歴史小説風味怪奇浪漫『日出処の天子』といったところ。

時間があちらこちらと前後するのは『ポーの一族』、
ロマンスは『風と木の詩』
そして絵を付けるとしたら最もふさわしいのが『日出処の天子』といったところか。
ベジャールとドンをモデルに描いた有吉京子『ニジンスキー寓話』よりも私には『日出処の天子』の妖艶で密度の濃い絵がぴったりくる。

ベジャールが母の形見の婚約指輪をドンに渡して、それをドンが亡くなったとき、左の小指から抜いて返してもらうくだりには泣かされた。それはベジャールとドンの個人的な儀式でありながら、親しい人間の死に立ち会ったことのあるものならば、永遠の別れの一瞬を思い起こさせるものだから。
ドンに宛ててベジャールは100通もの手紙を書いたのに、ドンは返事をくれたことがないと思っていたら、ドンの死後見たことのないノートが出てきて、そこに手紙の返事が書き記されていた、なんて出来過ぎだと思うが、その出来過ぎなところが、いかにも二人らしいとも思える。

両親、コレオグラフィの偉人プティパやバランシン、傑出したダンサー、作家や映画監督といった文人、宗教家さまざまな愛や知恵を授けてくれた先人たち。でも、最も愛しあっていたのはドンだった、結局はそれが始まりで結論だった。

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恩田陸-2

恩田陸押し売りはまだまだ続く。『ドミノ』を読んだ。今まで読んだ中では一番読みやすいエンターテイメントで、残酷さや陰鬱さは影を潜め、宮部みゆきの明るい部類のミステリ調。やたらと登場人物が多いが、そのことが特には気にならないほど、スピーディで流れに澱みがなく各登場人物の役割分担がはっきりしていて分かりやすい。宮部みゆき『龍は眠る』や『クロスファイア』のような感じか?『模倣犯』の残酷さ、陰湿さを無くした感じというべきか。

しかしこの人の作品は映画にドラマにと次々に映像化される。
恩田陸の作品に出てくる少年たちが活き活きと描かれるのは、彼女が過ごした青春時代が周囲を様々な男の子たちに囲まれていたからに違いない。自分とは異なる行動パタンや思考回路をもつ彼等に鮮烈な印象があったのだろうと思う。

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恩田陸

子供に強力にpushされ半ば強制的に恩田陸の本を読まされている。
『六番目の小夜子』は以前ドラマで観て、子供は大ファンになったようだが、私自身は正直いってあまり興味が無かった。今回読んだのは『麦の海に沈む果実』と『ネバーランド』

どちらも子供と同じ世代の少年少女の話だからどんなに荒唐無稽の物語でも感情移入しやすいのだろう。物語の構成は実験的な試みもあり、私自身が高校時代に安部公房を読んだときのようなイメージもあるし(中身はもちろん全く異なる)、エンターテイメントとしては栗本薫の匂いに近い気もする。

こういうドライな文章がハイティーンには好まれるのかなぁ。
日本人現代作家なら、もう少しウェットな鈴木光司とか村上春樹とかも読んで欲しいし、もっと若い世代で『アヒルと鴨のコインロッカー』の作者井坂幸太郎などもいいと思う。

いずれにしても濫読できるのは若いときが一番。古典もの(名作文学全集)もしっかり読んでね。

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