« 埼玉古墳群 桜 | トップページ | ヴァン クリーフ &アーペル 技を極める ハイジュエリーと日本の工芸 »

2017年7月 3日 (月)

川端龍子 没後50年 記念展

山種美術館で現在開催中の川端龍子展に行って来た。

平日の午後のためかゆっくりと鑑賞することができた。

龍子記念館で観たことのある作品も多かったが、展示空間の大きさと明るさが異なるためにかなり印象が異なった。

龍子記念館は天井が高く全体的に明るくのびやかなのに対して、山種美術館は地下空間で全体的に薄暗い照明のなかで絵画が浮かび上がるような展示手法を取っている。誤解を恐れずに言えば龍子記念館は庶民的親しみやすく、山種美術館はお洒落で少々気取っている。(山種美術館も根津美術館も私は好きで何度も行っているけれど、元大田区民の私は地元でいつでも行けると思っていた龍子記念館には2度しか行ったことがない。)

今回のリーフレットに使われた『草の実』の美しさや豪華さには目を奪われた。永井健志先生の絵の繊細さの源流はここにもあるのかなと思った。これはこの美術館にぴったりだと思った。

一方で『香炉峰』や『竜巻』には今回の展示空間では小さ過ぎるように感じられた。何となく私が龍子にもっているイメージの絵。大胆で自由奔放、なおかつ大きい。

当初会場芸術と揶揄されたものを本人が逆に気に入ってその後自らその言葉を使ったように、当時はインスタレーションという概念がまだなかった頃、堂々と展示空間と作品と鑑賞する人々との関係性を正面から主張したところが革新的だったのだろうと思う。

私自身が日本画を習い始めて技術の難易度に感心する部分もあるし、今回の展示が年代を追いながらも龍子の人となりにスポットを当てていたために感じ入った部分も大きかった。

その一つが戦時中に描かれた作品群だ。『香炉峰』『爆弾散華』といった大作だけでなく息子の出征に際して描かれたという小品『千里虎』。

『香炉峰』における表現は飛行機に乗って上空から見た景色と空気との一体感といったものが機体を半透明にして描くという独創によって表現されていて、そこに政治的色彩は感じられない。

それよりも前に描かれた『千里虎』は武運を願う気持ちと我が子の無事を祈る素直な気持ちが感じられて、戦争の結果をもとより知っている者が見ると感傷的になるけれども、当時の龍子にはそんな気持ちはなかっただろう。

一方終戦三日前に自宅が空襲を受けて倒壊し、死亡者まで出したときの惨状を描いた『爆弾散華』はあまりにも生々しい記憶をそのままの形で表現することができず、野菜の花や実に置き換えて表現されている。爆風で吹き飛んだ植物に切り箔を散らした様は暴力的でありながらもグロテスクではない。悲しいけれども恨みがましくはない。そこにはあくまでも絵画としての美が表現されている。『ゲルニカ』のような強い怒りを直接的に表すことはない。そこは画家の性格や信条にもよるかもしれないが、日本画が日本画としてある所以なのかもしれない。激しい感情を感情の赴くままに叩きつけるような絵は日本画として成り立たないと思われたのだと思う。

『鳴門』『黒潮』もダイナミックで素晴らしい。

後期展示の『八ツ橋』『金閣炎上』も楽しみだ。

« 埼玉古墳群 桜 | トップページ | ヴァン クリーフ &アーペル 技を極める ハイジュエリーと日本の工芸 »

文化・芸術」カテゴリの記事

美術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/46427/71037285

この記事へのトラックバック一覧です: 川端龍子 没後50年 記念展:

« 埼玉古墳群 桜 | トップページ | ヴァン クリーフ &アーペル 技を極める ハイジュエリーと日本の工芸 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ