2009年5月22日 19:00開演 於:彩の国さいたま芸術劇場
Program A
J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
第1曲 シンフォニア
第2曲 アルマンド
第3曲 クーラント
第4曲 サラバンド
第5曲 ロンド
第6曲 カプリッチョ
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111
ブラームス:4つの小品 Op.119
第1曲 間奏曲 ロ短調
第2曲 間奏曲 ホ短調
第3曲 間奏曲 ハ長調
第4曲 ラプソディ 変ホ長調
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 Op.10
*************************
まだポリーニの音の余韻が残っていて、身体の深奥からポカポカと暖められている私は、軽い疲労も心地よく穏やかな気分で会場へと向かう。
今日は初めてツィメルマンの演奏を体験する母を同伴。
バッハのパルティータ第2番は初めの1音から一撃ともいうべき強音でありながら計算された丁寧な響きを作り出し、次々と高速で重ねられる響きの中に遊び心が繰り出される。子供のときバッハが苦手だった私がもしこんな演奏を当時聴いていたら、練習が好きになっていたかもしれない。
と、気分が高揚してきたところでベートーヴェンのソナタ32番。音の塊で後頭部を連打されたような感じだったが、次第にその刺激に慣れてくる。痛みを我慢しているうちに次第に感覚が麻痺して恍惚状態に陥るよう。地獄の門を前にして自分の境遇を忘れてそれに魅入られた芸術家といった趣の第1楽章。一転幸福感に包まれる第2楽章ではすっかりトリップしてしまったのか、はたまた燃え尽きた命を大勢の天使が迎えに来て、無事天国へと召されたのか。この曲はどこかクレーメルの演奏を想起させた。エルンスト作曲『シューベルト〈魔王〉の主題による大奇想曲』とかベートーヴェン作曲『〈フィガロの結婚 伯爵様が踊るなら〉の主題による12の変奏曲』あるいはクプコヴィッチ作曲『SOUVENIR』といった世間では好き嫌いが分かれるかもしれないが私は大好きな(もちろんクレーメル自身が好んでする)演奏の数々。
後半、ピアノは前半と全く変わりがないはずなのに、ブラームスOp.119第1曲で音ががらりと変わる。この透明感は聞き覚えがある。2007年のサントリーホール、ブラームスのヴァイオリンソナタ第2番のピアノのでだし。頭の中で、クレーメル、ツィメルマン、シューマン、クララ、ブラームスが踊り始める第2曲。専門的なことは分からないが、第3曲、第4曲を聴くと私はシューマンの『ウィーンの謝肉祭の道化』とか『ダヴィッド同盟舞曲集』を思い出してしまうのだが、このときは完全にシューマン、クララ、ブラームスの3人の世界へと没入。このアンドレ・ジッド作「狭き門」の主人公ジェロームのごとき青年ブラームスに対して、アリサより成熟した大人だったクララと、更に大人であり続けねばならなかったシューマンとの関係を回想する晩年のブラームスを諦観よりも熱い情熱で表現するツィメルマン。実は私はこの人の激しさをこの曲で最も感じたし、この日一番好きな演奏だった。
そしてシマノフスキ。ステージ袖から出てきて椅子に腰掛けるとちょっと咳き込むツィメルマン。そんな姿を目にしたせいか、私もなぜか喉がいがらっぽく感じられ息苦しかった前半。しかし徐々に描き出される世界に引き込まれそんなことを忘れた。祖国の作曲家の作品に込める思いというのは特別なものがあるに違いなく熱演だったと思う。葬送行進曲で葬列が遠くからだんだん近寄ってきて去っていく遠近感や美しさはすばらしい。また繊細なメロディがどんどん豪快で壮麗な響きへと変化していく様は爽快感があった。
鳴り止まない拍手に何度もカーテンコールで呼び出されて最後は、ポケットから小さなマスクを取り出してかける真似をして笑いをとり、お茶目な笑顔で終了。そういえば、数日前のマエストロ・ポリーニはピアノにも拍手をというジェスチャーを見せて満足そうに微笑んでいた。会場にツィメルマンも来ていたようで、あの幸福なひと時を聴衆の一人として共有できたのかと思うと、うれしい。
どの曲もかなり高速で飛ばすところはあっても激情に駆られて破綻することなくしっかりと構成された演奏であったと思う。また、異なる作曲家の作品を時代を追って並べたので、曲が変わる毎にピアノの音の雰囲気ががらりと変化し非常に面白かった。母は「この感動をなんと表現していいかいろいろ考えたのだけど」と前置きした上で「酒米を60%も削って作る純米大吟醸のように香りが豊かで雑味の無い音だった」と言った。我が家にいる間に、いろいろな日本酒を舐めてそのおいしさに開眼した人らしい言葉だった。
---------------------------------------------------
2009.07.02 追記
「音楽の友」7月号にクレーメルへのインタビュー記事が掲載された。その中で印象に残った言葉が『--私にも好き嫌いはありますし、---例えばシューマンとブラームスに同じように接することができるかというとそれは違います。---私はブラームスにはシューマンほど愛着を感じません。また、ベートーヴェンとシューベルトでは、シューベルトにより愛着を感じます。--』
クレーメルのそういった愛着はなんとなく感じられるし、おそらくツィメルマンはブラームスにより共感を覚えてきたのだろう。たぶんそういう指向性というか気質が感じられるので、op.119の第2曲のワルツで踊るクレーメルとツィメルマンが見えたのではないかと、妙に納得してしまった。それと同時に、2007年のスーパーデュオのブラームスプログラム世界ツアーは(何が本当のきっかけかは知る由もないが)ツィメルマンのためにクレーメルがプロデュースしたのではなかろうか、とさえ思えてきた。
クレーメルという人は実生活における愛憎よりも、音楽家としてのあるいは芸術家としてのシンパシーを優先させる(少なくともプロフェッショナルとしては)人だと思うので、そういう少し屈折した理性の在り方がシューマン的で、それだけに内部へ押し込められた感情が思いがけない形でひょいと顔を覗かせるのだろうと思う。
一方、ツィメルマンは憂いのあるブラームスの内向的表現はこれまでも長けていたが、今回の演奏を聴くと、より型に嵌らない自由な表現へと向かっているように感じる。次回以降の演奏はガーシュウィン、ショパンと続くようだが、いつかシューマンの「暁の歌」を聴きたい。
最近のコメント